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Pro-Wrestling NOAH ( リダイレクト:プロレスリング・ノア ) : ウィキペディア日本語版
プロレスリング・ノア

プロレスリング・ノアは、日本プロレス団体
== 概要 ==

=== 旗揚げの経緯 ===
2000年6月16日、ジャイアント馬場死後の全日本プロレスの体制に強い不満を抱いていた選手達が団結し、三沢光晴が中心となって離脱・旗揚げした。離脱者は川田利明渕正信太陽ケア馳浩の4名を除く全選手、和田京平ら一部従業員を除く20数人というほとんどの社員となり、日本のプロレス史では最大規模となる総勢約50名強の旗揚げとなった〔インタビューで三沢は、当初は仲田龍と二人で居酒屋でもやりながら、新弟子を4から5人くらい育てて、月に一度くらい後楽園ホールで興行が出来たらと思っていたという。 〕。
旗揚げ戦は同年8月5日に事務所、道場、合宿所がある東京ディファ有明で開催された。旗揚げ戦を含む3会場、6,000枚のチケットが1時間足らずで完売し、注目度の高さを示した。その後、地方興行や有明コロシアムでのビッグマッチなどを重ね、2001年7月に日本武道館で初興行を開催。以後、2006年、2007年には年7回(1月、3月、4月、7月、9月、10月、12月)に渡って、武道館で興行を開催している。
2004年7月10日、2005年7月18日に特別興行としてプロレスリング・ノア 東京ドーム大会を開催した。
将来的な統一機構の設立を目指した団体連合組織「グローバル・レスリング連盟」にも参加し、今までにない交流関係を築き上げるのかと期待されたものの、現在は頓挫しているのか、動きが一切見られていない。2009年に新日本プロレス・全日本プロレスと共に打ち出した共通ライセンス構想も後に頓挫しており、他団体との交流という面ではこれまで苦戦している。
2001年4月から2009年3月まで、プロレスリング・ノア中継として、日本テレビでの全国ネット地上波放送番組枠を確保していた(日テレの他にキー局2社も放映権獲得に名乗りを上げていた)。2009年4月からはテレビ大阪ノアぷ〜として試合が放送されたが短期間で打ち切られた。旗揚げ当初はFIGHTING TV サムライにて中継する一方でノア中継開始までのつなぎとして放送された「コロッセオ」でダイジェスト放送を行っていた。サムライTVでの中継は2002年3月の日テレG+(当時はG+ SPORTS & NEWS)放送開始に伴い一旦終了となり、日テレ系地上波打ち切り後にG+と並行する形で再開された。
2009年6月13日、三沢が広島大会での試合中に事故死するアクシデントが発生した。翌月に人事が一新された結果、田上明が社長に就任した〔同月、小橋建太を社長に推薦するも容れられなかった百田光雄が役員を辞職し退団した。〕。小橋(2011年退任)、丸藤正道の両副社長とのトロイカ体制で経営に当たる。
2011年4月、ジャイアント馬場の姪である馬場トシ子が経理部長として入社した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pro Wrestling Noah 」があります。




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